こんにちは! 快晴の秋晴れの豊田市で美容師してますタッキーです。
朝から花火の音が鳴り年に一度の挙母祭りが開催されてます。
毎年お店の前を山車が通るのですが、今年も勇壮な姿を見せてもらえました。
挙母祭りを知らない人のために
毎年10月の第三日曜日とその前日に開催されます。
挙母祭りは、挙母神社の例祭として寛永年間(1624年~1643年)の頃より行われ、古い記録に寛文4年(1664年)飾奉四輌(東町・本町・中町・神明町)獅子舞(南町)後にかさ鉾(西町・竹生町)とあり、この頃には今の原型となった飾り車が存在していたと考えられています。
寛延三年(1750年)には、挙母藩の命を受け南町が飾車をつくることとなり、安永7年(1784年)に北町(現・喜多町)が飾車を出し、併せて今の8町になりました。
この頃、各町が挙母神社にて8歳~12歳の子供たちによる歌舞伎狂言を二幕づつ奉納競演をした後に、挙母城(七州城:現・豊田市美術館)へ山車を引き入れ、藩主・家臣らが歌舞伎狂言を観覧しました。祭りは、毎年陰暦の9月18日・19日に行われていましたが、明治維新後に、試楽・本楽の日も太陽暦の10月18日・19日になり、城中への山車の引き込みを取りやめ、各町内を引き廻すことになり、歌舞伎狂言も児童演芸の禁止令と共に消滅してしまいました。現在では、会社勤めの氏子も増えて第3日曜の本楽祭と、その前日の土曜に試楽祭を開催するように変わり、多くの皆様に親しまれております。
祭りの見どころは?
八輌の山車は、県・市の有形民俗文化財に指定。ヒノキ、樫、紫檀、黒檀など上材が使われ、豪華な山車幕や彫刻で飾られています。紙吹雪が乱舞 するなか、 曳きまわします。
一番の見どころは、挙母神社での「曳き込みと曳き出し」です。号砲の後、各町代表者の合図にて、一輌ずつ境内へ駆け込んでいきます。曳き出しでは 勢いよく大楠前を曲がり、境内を後にしていきます。
この後、もう一つの見どころがあります。それが「泣き別れ」です。
挙母神社を曵き出された山車は、豊田信用金庫本店前の交差点で、上町三町は南 に、下町四町は北に、それぞれ帰っていきます。
「泣き別れ」では、華車の町から無事催行の挨拶と、次年の華車の町への申し送り がされます。また挙母祭りが子々孫々受け継がれて行くこと、挙母祭り 関係 者・お客さまほか皆さんが無事帰られることを祈念し、来年の再興を誓います。
去年来てくれた子たち!
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